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イエズス孝女会葉山修道院(改修)
この建物は大正3年に東伏見宮別邸として建てられたもので、昭和30年頃修道院の手に渡り、信徒の研修、宿泊の場として使われてきた。 しかし、素人目には荒廃の極みに達しており、雨漏りや使い勝手の悪さからこれを取り壊し、コンクリート造で新築したい相談があった。 そこで、横浜国大飯塚教授に依頼して荒廃状況を調査した結果、修理すれば充分長期使用に耐えるという確信を得、修復再生して現代的使用を可能なものにするという方向に計画を修正した。 老朽化した部分を修復しつづ、主として暖房、給排水、防災、等の設備を全面的に改善した。 結果として、建薬としての品格をもち、階高は通常の1.5倍というゆとりのある建物を、坪当り35百円程度のコストで保存することができた。 -
小規模中庭型集住ユニット
21世紀に向けて都市型集合住宅の開発をめざした建設省主催の「新都市型ハウジングシステム提案」募集に応えたもので、内部市街地更新型の低層高密集合住宅の新しいかたちを示して いる。 密集市街地にあって小単位で環境を自足して自律しつつ、連担して街区形成をはかるようにゼロロット中庭型配置を、協調建替のシステムをとることで実現している。 街路と通り庭のネットワーク的広がりにより市街地にフレキシビリティをもった公共フレームをつくりだし、都市居住の多様なスタイルや機能複合をとりこみながら、ストックたりえる街区づくりをすすめていくことを意図している。 この提案は優秀賞に選ばれ、ひきつづきシステム実現化のための調査研究がすすめられることになった。 -
信楽の多目的ホール
琵琶湖の南側の山里に敷地はあり、既にミノル・ヤマサキや吉村順三による建物群が存在す る。 ここに新たにカレッジ講義、演劇等に使われる2,000人収容の多目的ホールを建殺することに なった。建物は斜面に半ば埋まった形になっており、屋上は既存地盤と同レベルで広場となっている。唯一のファサードは前面道路のカーブに治った銅板庇付の三段の大ガラススクリーンとなって、谷の同い側の山林を映し出している。 ホール内部は、ステージを源として知識の流れ出る様を、重層する曲面壁で表現している。 曲面壁は、ホワイェ、ギャラリー空間まで連続し、ホール内外の連続感を生み出している。 室内の色彩は白と灰色を基調とし、ディテールを極力目立たなくして清潔で透明感のある空間とした。 -
那須友愛の森永住センター
この建物は地元の人々の定着を図るための工芸の発展と、日常生活のアメニティを豊かにし、町としての文化性を高めて観光資源に資することを目的としてつくられた。 建物のイメージは、大きな反りをもった屋根の納屋である。暗い雰囲気を避けるため棟にトッブライトをつけて天空光を入れ、むくりをより強調する反りをガラスでデザインした。また建物の平面を紡錘形にふくらませることによって、屋根にも自然なむくりをつけ、空間的にも形態的にもゆったりとした感じを出した。 内部は、全体を包む大きな納屋空間の中に文化活動の拠点となる小さなワークショップを配した。内部空間は、直載な木による構成とモンドリアンの面構成のイメージを重ねた空間構成とした。 -
船橋地区会館
世田谷区ては、地域住民のコ,コミュニティづくりの核となる施設の充実に努めている。この建物も子供から老人に至る幅広い年齢層に対応し、住民が気軽に利用できるインフォーマルな場となることを目的としてつくられている。 各フロアは スキップ式にレペル差をもって構成されている。階段や段に一つのシステムとしての連読性をもたせ、全体としてエッシャー的な回遊性の感じられる空間とした。 外観はシンプルな形とし、壁体からスリット窓て全体に切り離された鉄骨の屋根によって全周に庇を持たせ、軽快な感じを出した。また、外壁の下層部分はタイル貼りにして壁面を大きく感しさせないエ夫をした。 隣接する児童公園と建物の連続性をもたせるために公園からステップアップした芝生の段々をそのまま多目的ホールの段状構成につないでいる。 -
女子聖学院礼拝堂・講堂棟
この建物は礼拝堂であり、講堂でもある800席のホール空間と図書室、教員室、事務室の複会した建築であり、学院のシンポルとなり、かつ地域のランドマークとなる位置づけをされている。 祈りの空間としてのシンポリズムの造形を空間の垂直性と求心性とに求め、講壇上部の17.5m高さに吹き抜ける空間、壁側面の襞、縦長な柱による構成、ステップ状の高まりをもった同心円的な屋根構成等によってそれらを表現した。 またトップライト等の手法で、彩色された自然光を取り入れ、微妙な光の変化に伴う空間演出を図った。 建物の外観に凸形や三角形の形態を多用し、シンポル性を強調した。 -
東京都体育館
大小アリーナ、プール、その他の各施設が一体となり、機能的にコンパクトである一方で、全体としてはスポーツ活動にふさわしいおおらかさをもった空間とするため、連続したテンション構造による大屋根とした。大屋根は神宮の森を背景として山並のような有機的表情をもち、見る角度によって様々に変化し、来場者の目を楽しませる。 千駄ケ谷駅からは、手前の扇形の広場に面しクリスタルな表現のヒューマンスケールをもった共通部分がまず目に入り、そのうしろに巨大な大屋根がのぞまれる。この方面から多数の来場者が想定されるため、主階を歩道橋とほほ同一のレベル(+5m)に設定して、アリーナ、プールにはこのレベルから下がって着席することとした。 共通施設、サービス施設は扇の要に近いところに集申して、動線や設備システムの合理化を図り、ロビーを媒介として常時界隈的な活気ある雰囲気がつくられることを意図した。 -
浦添市体育館
昭和62年(1987年)に国体が開催された運動公園の一角に計画された総合体育館の指名競技設計案である。 与えられた故地は全体が北西側に海に向かって傾斜地形を成している。ここでは体育館という性格上おおらかなデザインを求め、形態のイメージとしては、帆かけ船のようなふくらみと緊張感、打ち寄せる波や海の貝殻のような優美さを求めた。 壮大で、かつ有機的で優美な空間をつくる具体的方法として球の幾何学を採用した。大屋根は鉄骨造の小屋組、半径75mの球の断面として構想した。長軸方向は正三角形の断面をもつト ラスによるアーチで、これらを受けるのはコンクリートの立体柱である。このトラスとトラスとの間をつなぐ梁は、やはり半径5mの円弧の断面をなすアーチ球の一部である。これにより緊張感のあるふくらみが空間として与えられた。 -
福山暁の星学院体育館
中学校と高等学校の共有の体育館である。本校は女子校でもあり、優美なフォルムを求めた。 敷地の制約から体育室を2層としなければならなかったが、それに由来する巨大なスケール感を和らげ、人間的スケール感を作り出すこと、また1,2階に分かれた体育室がお互いに孤立している感じを少なくするため、吹抜けなどによって視覚に心理的連続性をもたせるこど、更に崖下からの強風に対する流体学的考慮などから、この形態が生まれた。 なお、この体育室の周緑部には学園生活において必要とされる、インフォーマルな人間的関わり合いを育むような生活ラウンジを設け、全体としてもいわゆる体育館ではなく、体育パヴィリオン的イメージをもたせている。 -
聖アンデレ教会信徒会館
建物は都心に近い2,000坪ほどの教会敷地内にある。多様な用途をもつこのホールは、教会の建物の中で要の位置を占めている。 ホールの中心は信徒会室であり、この空間は平面的広さに対応した高い天井に交差する、ふたつのアーチで構成されている。道路に平行な軸をもつ格子状の構造と、東西軸に平行な信徒会室の構造との間に局面の壁を貫入させることによって、空間の構成により変化をもたせることを意図した。これによって聖堂に比べてインフォーマルな活動の多い信徒会館にふさわしい、柔軟性のある空間が生み出された。 軒庇の深いところでは木製サッシュを使用し、コンクリートの打放しのテクスチャーと組み合わせている。 -
南青山タウンハウス
商店や事務所ビルの林立する青山通りも、一歩奥に入ると閑静な住宅地になっている。比較的区画の大きなこの辺りでは、代替わりに伴って中層高密化が進行しており、業務、商、住が混在する傾向にある。 そうした中で、ライフスタイルを異にする親子三家族と、貸事務所のためのこの建物は都市住宅の典型と言えよう。 市街地において建物は種々の制約を受けることになる。この建物も北側と東側が道路斜線による制限を受けているが、円弧の屋根によってこの制約に対応している。更に、開口部にも円弧を用いることで、異なる内部空間を持つこの建物に連続性を与え、堅くなりがちな北側の表情を和らげて、玄関周りの雰囲気に参与している。 -
遠藤邸(浦賀の家)
敷地は浦賀ドックを取り囲むように並び立つ岡野来た斜面にある。周囲の家が一般的に採用している東西軸に平行な配置とすると、南側の狭い庭の前面に、前の家の北壁面がそそり立つことになる。そこで家の南側のファサードを45度東に振り、視線を道路の方向にそらせ誘導することによって、心理的に道路幅員分を自分の敷地に加えるような配置とした。 日常最も太陽の欲しい居間、食堂、厨房を2階としたが、これは2階をほとんど1室空間として扱うことを構造的にも整合させることになった。(第27回神奈川県建築コンクール優秀賞、1982年) -
菅田邸(逗子山の根の家)
建物は南北方向の中央部に、内部と外部、1階と2階をつなぐ中間領域としての吹抜けのサンルームをもち、この軸によって東西にシンメトリーな構成となっている。個室にトップライトからの光を入れるため、中央部は谷屋根として、軸線を強調した形とした。 1階はパブリックな空間であり、軸空間によって西側に居間、東側に食堂、厨房と分けられている、2階はプライベートな空間とし、西側に夫婦の寝室、東側に子供の寝室を、それぞれが独立性を確保するように分断配置した。 居間はレンガ積みの暖炉を壁面の飾り棚に組み込んで低い水平線を強調し、ゆったりとした空間とした。台所は壁面や家具を白で統一し、出窓を設けてできるだけ明るく、清潔な感じに仕上げている。(第25回神奈川県建築コンクール優秀賞、1980年) -
五井カトリック教会
市原市は東京湾に面した臨海工業地帯の一部である。教会は区画整理の進められている市内の新興住宅地に建てられた。 建物は聖堂部分と司祭・信徒会館部分とから成り、それを共通のホールで結んでいる。キャノピーを道路より直角に導入し、180度折り返して祭壇へ向かう動線をつくることによって、宗教的な場へ近づいていく心理的プロセスを確保した。また聖堂内部では、打放しコンクリートと、祭壇の上を斜めに走るダイナミックなトップライトとによって祈りの空間を演出した。 開かれた教会のイメージを実体化するものとして、聖堂前面には塔のある小広場が設けられている。 -
谷川山荘
この建物は約140年程前、沼田市内に酒屋の別邸として建てられ、その後現在地に解体移築されたものである。移築後は主に夏期の別荘として使用されていたが、損傷が激しいため、改修工事を行うこととし、併せて冬期の使用も可能にすることになった。 改修に当たっては、太い柱や梁のある居間に残る古い農家土間の雰囲気を残し、その良さを建物全体に高めることを主要なテーマとした。 外壁、屋根等の損傷が激しい部分は全体的に改修し、確執には二重サッシ、外壁や屋根裏には断熱材を施して断熱性能を向上させた。 これまで使用されていなかった屋根裏も、簡易な宿泊が可能な空間に作り替え、大人数での宿泊も可能にした。 -
援助マリア会福山修道院聖堂
この小聖堂は、援助マリア修道院に隣接した修道院全体の祈りの場である。聖堂の上半分はRCによる西欧的空間の要素に支配され、下半分は円柱を除く木の素材により日本的水平流動型の空間が意識される。総体的な空間体験として、日本的であり西欧的でもある複合的なものを目ざした。 聖堂の本体は障子で囲まれており、これを取り外すことによって200~300人の礼拝が可能になる。祭壇には上部からトップライトで自然光が入り、石庭から回り込んでいる壁下の白い玉砂利に反映して、透明感と奥行きをつくり出している。祭壇と壁の間には格子のスクリーンが立ち、その背後に木製の十字架が自立してある。十字架の中央部は格子に開けられた雲型の穴から直接に見えるようにし、日本の心の表現を求めた。 -
石原なち子記念体育館
これは人口8,000人のコニュニティーを対象として石原なち子氏の寄贈によって建てられた体育館である。当体育館は既存のスポーツフィールド、水泳プール、公民館を含むコミュニティセンター内の中心に建てられている。寄贈者が女性であることを考慮して、デザインは女性的な柔らかさと優しさを反映するよう試みた。 全体配置の中心に位置することから、中央広場との親和性を重視し、コロネードやフレームによって建物周囲の中間領域の形成も意図した。 日本建築家協会新人賞受賞 1983年 -
聖アンセルモ祈りの家
この建物は、東京、目黒にある聖アンセルモ修道院の別館として計画された。1階部分に教会の事務、集会のための機能をもち、2、3階は日本人修道士養成のための宿泊・研修の機能とし、さらに地下に納骨堂将来計画するスペースが準備されている。 1階部分は開かれた修道院として内部と外部の相互貫入をはかるように、道路側にベンチを置き、また内部のベンチコーナーがガラスの箱として突き出している。 2階、3階の修道院部分は内・外共に全体的に日本の伝統的な空間構成である格子、縁、障子等のボキャブラリーを利用して”日本における修道の空間”が模索された。 -
聖コロンバン会本部
アイルランドに本拠をもつ聖コロンバン会の日本の本部であるこの建物は、 日本における宣教活動の中枢であると同時に、神父たちの赴任までの一時期や、各地での宣教活動の節目に上京した時の住まいとして憩いと安らぎを得る家庭的な場である。 建物のいくつかの機能的空間(宗教的礼拝と黙想の空間としての小聖堂から夕べの語らいと食事をする家庭的な小食堂、個室群)を空間的にひとつにまとめるものは、中庭とそれをとり囲む回廊であり、また回廊が内部に貫入され南北に建物を貫く2層分の吹抜けをもったコリドールである。